プロフィール
タイトルとペンネーム
まずブログのタイトルの「お金」は、個人的に産後急速に真剣に向き合った種目。
真剣に向き合ったことで、凡人家庭の私が資産1000万円以上を30歳前半で築けた。ごくわずかな成功例なので、タイトルに導入することにした。
また家計管理の改善や、おすすめ商品、副業、旅行と幅広いジャンルを「暮らし」という言葉に勝手に集約した。
ペンネームは「くれよん」。驚くほどに、意味はない。
こどもがクレヨンで絵をかいていたので、「くれよん」にした。
出身は京都市民。社会人から滋賀県民
私は、平成元年2月生まれ。平成の時代は、年齢がわかりやすかった。平成20年だったら、20歳だから。だけど令和に変わってからは、自分の年齢をすぐに見失う。どうしたものか。
よくしゃべる母と、アニオタの妹がいる。父親は幼いころに他界した。実家では、2匹のチワワを飼っていた。犬は家族。2匹の愛犬は、もう天国へ行ってしまったけれど、いつまでも愛している。
京都はやたら観光客に人気があるけど、地元民からすれば意味不明。住居は密集してるし、道は狭い。そのくせ人が多い。バスに乗っても、電車に乗っても、人人人。観光名所は遠足で行くから、なんでこんなとこに人が集まるか理解できなかった。高校生までの生活圏は、どっぷり京都。大学生からは三流大学に通うため、大阪に滞在する時間が増えた。ちなみに大学時代が、一番楽しかった気がする。
新卒で入社した会社の配属先が滋賀県だったことがきっかけで、現在に至るまで滋賀県民と化した。正直はじめの頃は滋賀県を田舎だとなめていたけど、住んでみると印象が180℃変わった。西川貴教さんの滋賀愛を余裕で理解できてしまうし、滋賀から出る気はない。
ちなみにだけど、29歳で結婚し30歳で出産。今は、夫と娘との3人暮らし。
くれよんの人生観
小学生の頃までは、極度の人見知りだった。学芸会とか発表会の類は、大嫌いだった。未だに大勢の人前は苦手。また、女子特有の仲良し軍団系も苦手。群れることを避け続けた結果、一人でラーメンや焼き肉も食べに行ける狂人なメンタルが身に付いた。
新卒で入社した会社は、「上司の言うことは絶対」「プライベートより仕事」という人間の集合体。
10年間も自分の人生を無駄に捧げてしまった経験が、バネとなり今は「自己犠牲は絶対にしない」をモットーに生きているし、これからもそうしていく。
無理に人に合わす必要は、全くない。苦手な人とは関わらなければいいし、波長が合う人とは仲良くすればいい。嫌な場所には行かなければいいし、好きなところで生きていけばいい。
自分の”好き”を、探している
社会人になると、時間の流れが急速に早くなる。1日のほとんどが仕事で消化される。たまの休みに旅行に出かけること、色恋に胸を弾ませることが唯一の楽しみだった。花の20代は、あっという間に過ぎ去った。
気が付くと妊娠して産休の期間に入っていた。持て余す時間の過ごし方がわからなかった。やりたいことがない。30歳を過ぎた頃、ようやく「好きなコト」を見失っていることに気が付いた。
恐ろしい事態を改善するため、「自分の好き」を探している。ただ考えるだけでは見つからない。どんな「コト」があるのか情報を集め、「やってみる」を繰り返している。
もう一つ効果的なのが、過去を振り返ること。私の場合、「旅行」と「スーパー銭湯」と「バラエティー番組鑑賞」が好きなことだった。この好きを追究しつつ、他の好きを探し求めていく。
働きかたの野望
会社を退職してから、ひょんなことがきっかけで業務委託として仕事を受けている。ひと月16日勤務で、ひとり作業。仕事内容は苦にならない程度で、昼には業務が終わる。会社に属することがなく、気楽に仕事ができる環境を奇跡的に実現できた。
とは言え、会社員のように保証された環境ではない。いつ失うかもわからないのが、個人事業主。保証がない恐怖はあるけど、私はもう「会社員」には戻れない。戻りたくない。いちど会社という世界を離れると、他人の常識に囚われていた自分に気が付つく。1日の大半を拘束され、人間関係を選べない環境は、嫌なんだ。
できることなら、「苦にならない仕事」を「苦手な人と関わらず」に「無駄な時間拘束から解放」された働き方がしたい。
そのためには、「自分の力で稼ぐ」必要がある。何を仕事としたいのか考えたときに「自分の好き探し」に通ずる点があった。会社に寄生していた期間が長いほど、「自分で稼ぐ方法」がわからない。そんな時は、手当たり次第にやってみるしかない。見つかる保証はないけど、あきらめたら戻りたくない働き方しかないんだ。
新しいことにチャレンジすると、視野が広がる。心も広くなる。自分の好き嫌い、向き不向きもなんとなくわかってくる。もちろん、失敗の方が多いけど、稀にヒットする時もある。そこで今取り組んでいるのが、ブログなんだ。
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